男と女
男は焚き火 女は炭火
ふたつにひとつの前にあること
前にやろうとしていたことがそのままだ。そのままではダメなのでやらないことにした。はっきりさせてしまえばやろうがやらまいがすっきりする。
どちらもやるのは気が重い。優先順位の付け方は若い人は自分で楽しみを見つけるしやる行動力もある、やりたいと思っているならば。ならばなにも俺がするまでもないかなと思ってしまう。自分ではもうあまりできなくなった老人を優先した方がいいと考える。
ある人が言った「年寄りは今までそれなりに自分の好きな事をやってきたはず」と。そこから考えると無理になんだかんだと楽しみを押しつけることもないのかな。
優先順位は右左のふたつではなく、まずは数に数えない自分を優先させ、自然体でいつも両手を広げているように立つことなのかな。そうじゃないと臨機応変に動きにくくなる。
なんだかふてくされた俺がいた。漫画さすらいアフロ6巻を買って読むと、田中もぶす〜っとふてくされていた。おお、そこからどう立ち直りに行くのか?なんてことはなくやはり単純なことからいつもの田中となっていく。
田中と俺。
ふたつにひとつの前にあること
前にやろうとしていたことがそのままだ。そのままではダメなのでやらないことにした。はっきりさせてしまえばやろうがやらまいがすっきりする。
どちらもやるのは気が重い。優先順位の付け方は若い人は自分で楽しみを見つけるしやる行動力もある、やりたいと思っているならば。ならばなにも俺がするまでもないかなと思ってしまう。自分ではもうあまりできなくなった老人を優先した方がいいと考える。
ある人が言った「年寄りは今までそれなりに自分の好きな事をやってきたはず」と。そこから考えると無理になんだかんだと楽しみを押しつけることもないのかな。
優先順位は右左のふたつではなく、まずは数に数えない自分を優先させ、自然体でいつも両手を広げているように立つことなのかな。そうじゃないと臨機応変に動きにくくなる。
なんだかふてくされた俺がいた。漫画さすらいアフロ6巻を買って読むと、田中もぶす〜っとふてくされていた。おお、そこからどう立ち直りに行くのか?なんてことはなくやはり単純なことからいつもの田中となっていく。
田中と俺。
2012-05-09 :
「独り言」公開できる範囲編 :
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今夜の珈琲思考
古くから店をやっているところでこんな会話が出た「終わらせることを考えないとね」
そうか、薄々と感じていた俺の考えも間違いではないのだろう。
最初が肝心とも言うが、最初ミスしてもそのさき挽回できる。終わりにミスしたらどこで挽回するのだろう。
終わらせる方法とは、この先を進んで行くより難しくはないかもしれないが難解で静寂だ。
こんなことばかりかいていると終わるの?と思うかもしれないが、近いうちではないが確実に来る事だけは確かだ。終わるから、充分に考え計画していたい。
自分の店は自分で閉めたい。一代で終わらせないと、自分の結末を自分で始末付けないことになる。背負うことが店をやることと結論付けてしまいたい。
回帰するために回帰できそうな喫茶店を巡るのもいいものだ。やはり、戻ってしまうのだなと感じた日だった。
珈琲より大切で美味しものは、珈琲がらみの関係。記憶を辿ってみるとあまりにも明確だ。
そうか、薄々と感じていた俺の考えも間違いではないのだろう。
最初が肝心とも言うが、最初ミスしてもそのさき挽回できる。終わりにミスしたらどこで挽回するのだろう。
終わらせる方法とは、この先を進んで行くより難しくはないかもしれないが難解で静寂だ。
こんなことばかりかいていると終わるの?と思うかもしれないが、近いうちではないが確実に来る事だけは確かだ。終わるから、充分に考え計画していたい。
自分の店は自分で閉めたい。一代で終わらせないと、自分の結末を自分で始末付けないことになる。背負うことが店をやることと結論付けてしまいたい。
回帰するために回帰できそうな喫茶店を巡るのもいいものだ。やはり、戻ってしまうのだなと感じた日だった。
珈琲より大切で美味しものは、珈琲がらみの関係。記憶を辿ってみるとあまりにも明確だ。
2012-05-08 :
仙台 喫茶店物語 もう、帰ろうとしている :
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今日の珈琲思考
珈琲を仕事にしている俺にとっての珈琲を整理してみる。
焙煎とか淹れ方、産地とか銘柄、珈琲ブックに載るようなことが俺個人にとって大きな割合を占めるかというと、そうでもない。
語りたい人が語ればいいわけで、俺は聞かれれば答えるが出来れば遠慮したい。そこに俺の過去からへの未来の思いはないような気がする。
そんな生き方をしたい。そう生きるための方法として土台が当たり前のようにあり、土台だけでは何も成し遂げていないわけで壁や天井、椅子テーブルカウンターがあって成せる準備が整う。店にはまばらに来客がありそこにそんな生き方がしたかったが完成している。
珈琲という粒のことより、珈琲と共に過ごした人のことやその時の気持ちや会話、独り読んだ本、独り考えたことが大道。
大道を歩く為に付随していることが珈琲論。
きっと誰でも思い出す過去は、そのものではなくそこから気温や匂いまで思い出せるような、そこで過ごした時なのだろう。
だから目の前に置かれたものより、そこでの感覚を飲みほした方がいい。目の前の味など忘れるが、ゆらりと揺れるように箱の中で過ごした第三の視点から見ているような写真が思い出される。
アルバイトした喫茶店での場面場面をいくつか思い出す。その店で働いていた人の中で4人が今でも珈琲の仕事に携わっていることが嬉しいし、その店とその時代に描いた未来が本物だったということだろう。店と時代に合って会ったものに今も繋がっている。
焙煎とか淹れ方、産地とか銘柄、珈琲ブックに載るようなことが俺個人にとって大きな割合を占めるかというと、そうでもない。
語りたい人が語ればいいわけで、俺は聞かれれば答えるが出来れば遠慮したい。そこに俺の過去からへの未来の思いはないような気がする。
そんな生き方をしたい。そう生きるための方法として土台が当たり前のようにあり、土台だけでは何も成し遂げていないわけで壁や天井、椅子テーブルカウンターがあって成せる準備が整う。店にはまばらに来客がありそこにそんな生き方がしたかったが完成している。
珈琲という粒のことより、珈琲と共に過ごした人のことやその時の気持ちや会話、独り読んだ本、独り考えたことが大道。
大道を歩く為に付随していることが珈琲論。
きっと誰でも思い出す過去は、そのものではなくそこから気温や匂いまで思い出せるような、そこで過ごした時なのだろう。
だから目の前に置かれたものより、そこでの感覚を飲みほした方がいい。目の前の味など忘れるが、ゆらりと揺れるように箱の中で過ごした第三の視点から見ているような写真が思い出される。
アルバイトした喫茶店での場面場面をいくつか思い出す。その店で働いていた人の中で4人が今でも珈琲の仕事に携わっていることが嬉しいし、その店とその時代に描いた未来が本物だったということだろう。店と時代に合って会ったものに今も繋がっている。
2012-05-08 :
仙台 喫茶店物語 もう、帰ろうとしている :
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