田代島の猫 写真展

「田代島」
片目の猫、まだ子供なんだね。かなりやられたんだな。目の前で、生きている。今度行くときにも生きていろ。
3回目の田代島になるはずだった1月2日。強風のためフェリーは欠航。写真を撮るべく、約1ヶ月間のイメージトレーニングしていたことの置き場もなく、気持ちはフェリー埠頭に置いたまま。今まではお天気のことばかり気にしていたが海には“風速という乗船券”があるのだな。それを取り戻す1月11日は風も穏やか、迫る田代島がだんだん大きくなってくる。
回数を重ねることで、フェリーの乗務員さんと交わす小さな言葉さえただの通りすがりではない感じがする。島ですれちがうお婆さんとの会話も。
1回目の田代島があり、2回目の田代島があり、3回目の田代島がある。あるべきでなければ上空を流れるただの風だ。島に下りてまた違う何かを感じ、違う何かを写さなければならない。
最終のフェリーに乗るまでの残り1時間30分「居てよかった」と思えた。撮るのを一瞬ためらった片目のジャック。撮らなければ何の田代島の猫だろう?
可愛いだけじゃダメなんだ、愛らしさも撮りたい。在りのままを撮りたい、それだけじゃ足りない。愛され、邪魔にされ。蹴落とし奪われ、叩き合いながらも恵み合うこともあるだろう。生きる凄まじさ、陽だまりの午後を撮りたい。写真は年齢に値するものでありたい。そうでなければ俺は撮らない。
2回目の田代島で写せなかったことを果しに行ったけれど、また果せなかったことに気づく・・・。
海を感じる歌をそう好きにはならないが、島唄は別だ。船酔いするから船は苦手だけれど、島に行くなら乗るよ。海よりも山の方が安心するけれど、島に残された感じが好きだ。しあわせを願う時間さえ惜しむように陽は沈んでいく、とてもいいことだ。
片目、削げた頬、古い傷を覆う毛並み、可哀想と思うことさえ失礼な気がする、俺は何もしない。傷もじっと我慢し、己の能力を試すように今夜も眠るのだろう喧嘩したあの猫と寄り添いながら、丸くなって。嘆いている時間さえ惜しむように星が昇っているだろう、とてもいいことだ。俺も、そうありたい。
ただの猫じゃダメなんだ、田代島は。ありのままや、自然な姿という言葉で済まされない何かを撮りたい。何かが分らないままでもいい。
また田代島に行くのは暖かな春の頃だろうか。その時は、その季節に相応しい島姿を写せたらいいな。
公募写真展・フォトあそび番外編「田代島の猫・島唄日和」2月7日〜2月20日迄です。




